【歌詞考察】なきそ『化けの花』──咲き戻れない花は誰を映すか

なきそ

こんな人におすすめの歌詞と考察!

  • 本曲で描かれている「関係性」が知りたい人
  • 「化けの花」の本当の意味を知りたい人

I. 導入――〈化ける〉という不可逆の瞬間

 ボカロ P・なきそが 2024 年 10 月 12 日にリズムゲーム『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』向けに書き下ろした〈化けの花〉は、ユニット〈25 時、ナイトコードで。〉のイベント楽曲として公開された。作者は公式コメントで「どうしようもない現実ってあると思います。覚悟の準備をしておいてください」と述べ、聴き手に救いのなさをあらかじめ受け止める姿勢を促している。

題名に含まれる「化ける」は〈本来とは異なるものへ転じる刹那〉を示唆し、いったん咲いた花が二度と蕾に戻れない不可逆性を暗示する。本稿は、この不可逆性を「変容後の世界線(アフター)」、さらに他者の視線が主体を追い詰める構図を「リスク化された他者」と呼び、楽曲に潜む主体と社会の摩擦を読み解く。


II. 本論――咲いてしまった花の孤絶

1. 他者のリスク化――視線が暴力に変わるとき

冒頭の「なにその目…はじめましてじゃないね」という断片が示すのは、視線を“既知の脅威”として措定する主体である。筆者がいう〈他者のリスク化〉とは、SNS 以降の社会で〈関わり〉が癒しより損傷の可能性として知覚されやすくなる傾向を指す概念だ。歌詞は「見ないで 理解出来ないでしょう?」という拒絶の問い掛けから、「…いなくなれ」と排斥へ振り切れ、直後に「そばに居て」と真逆の欲求を重ねる。

ここには排除による安全承認への依存という相反する衝動が同一線上で衝突する構図がある。視線は危険物であると同時に、存在証明の唯一の窓でもある──リスクと依存が“安全距離ゼロ”でせめぎ合う地点、それが本楽曲の第一の舞台装置である。

2. アフター系的不可逆性――「蕾には戻れない」世界

しかし、なぜ、このようなアンバランスな世界観ができてしまったのだろう。それを読み解くヒントはサビの「つぼみには戻れない」という断片にある。端的に言おう。上述の緊張感は関係性や変容の不可逆が前提にあるのだ。さきの歌詞は一度開かれた自己が退路を失う不可逆性を示す。この世界では、〈化粧〉=仮装すら素顔と溶融し、両者を弁別する基準が消滅している。「なんちゃって」のような冗談めいた語りが許されないのだ。故に排除と承認の欲求は悲劇的な緊張感をもって両立する。

他者を呪詛しながら「そばに居て」と縋るパラドクスは、暴力と依存が共存する。この奇妙な関係を本稿では〈透明な関係〉とよぶ。

歌詞の後半は〈「未来で理解されないなら…呼吸を止めて」〉と願うが、直後の〈「あー もういいや」〉という投げやりなフレーズは、終幕すら拒む倦怠を露わにする。

終われなさに倦む呟きの背後には、「終わってもなお続けさせられる」アフター系の宿命が透けて見える。ここで自己は、他者からの視線と自らの終末願望とのあいだで緩慢に引き裂かれ、その亀裂自体が作品の感情的推進力となるのである。


III. 結論――“花”はなぜ化けたのか

 「化けの花」は、視線が瞬時に暴力へ転化する社会条件下で、主体が不可逆の変容を強いられるドラマを描く。筆者が定義する〈他者のリスク化〉は、他者を排除しつつ同時に依存するという自己矛盾を露わにし、〈アフター系〉は変化後の世界に出口が存在しない事実を刻印する。ここで歌が提示するのは“脱出”ではなく、「化けたまま生き延びる」という苛烈な選択肢である。

短いフレーズ「見ないで」「そばに居て」が同時に響くたび、聴き手は自身の視線が他者を傷つけ得る危険を自覚せざるを得ない。不可逆の花は観賞物ではなく鏡であり、私たちのまなざしこそが“化け物”を育む温室なのだ――そう静かに告げながら、本曲はボーカロイド・シーンに暗い光を放ち続け、私たちの現実を照射し続ける。

※本記事は、『化けの花』(作詞・作曲:なきそ、2024年)を批評目的で必要最小限に引用しています。著作権は各権利者に帰属します。

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