I. 導入──「未完成」にしがみつくあなたへ
あなたが『ヒバナ』という曲を好きな理由は、たぶん、その“危うさ”にある。
振り回され、撃ち抜かれ、それでもなお応答を求め続ける語り手の声に、どこかで自分を見てしまうのだ。誰かに触れてほしい、でも触れられたくない。そんな矛盾した希求が、あなたにもきっとあるはずだ。
「もっとちゃんと不安にしてよ」「もっとちゃんと痛くしてよ」と訴えるこの歌は、傷つく覚悟を持たないと愛せない時代の、ひとつの告白である。
愛されたいのに、愛されたくない。完全ではないけれど、未完成であることにしがみついていたい。
それは、“他者に依存することの怖さ”を知り尽くした世代が選んだ、生き方でもある。
この曲は、あなたが感じている「わかってほしいのに、うまく伝えられない」という苦しみを、音とことばで言い当ててくれる。
だからこそ、『ヒバナ』はあなたにとって、ただのボカロ曲以上の存在なのだ──。
II. 本論──「応えてよ」と叫びながら応答不能でいる私たち
A. 構造分析:爆発するパルスと黙する主体
『ヒバナ』の歌詞は、感情の“加速”と“遮断”が交互に現れる構成をとる。冒頭からパルス(脈拍)の加速、フラッシュ、キスを迫る壁といった比喩が連続し、語り手の感情が膨張していく様が描かれるが、同時に「弱音はミュートして」「冗談ばかりね」と、声が立ち上がる直前に抑圧される瞬間が何度もある。
Aメロでは感情が膨らみ、Bメロでそれが“反転”し、サビで爆発する──というサイクルが何度も繰り返される構造は、語り手の不安定な自我を象徴するリズムでもある。特に、サビの「もっとちゃんと不安にしてよ」というリクエストは、受動性に見せかけた能動的な支配欲であり、愛情を暴力のかたちで求めている。
この構造全体が示すのは、語り手が自分の感情すら把握できないまま、他者の応答を強制する姿であり、それは“人格の輪郭”がうまく定まらない現代的苦悩に通じている。
B. フレーズ精読:何度でも「未完成」と言い続ける理由
本作で最も象徴的なのは繰り返されるこの一節だ。
「“未完成”だって何度でも言うんだ」
この「未完成」は、単なる成長途中の肯定ではない。むしろ、「完成することを拒否したい」「関係が固定化することを怖れる」語り手の姿勢を映す。何度でも言い直すという反復は、自己不信の裏返しとしての自己主張である。
また、サビに現れる「もっとちゃんと不安にしてよ」「もっとちゃんと痛くしてよ」というフレーズ群は、「愛されたい」というよりもむしろ「傷つけられたい」という願望に近い。このマゾヒスティックな欲望は、痛みを通じてのみ自己を実感できる人格の姿を描いている。
それは「選ばれることを待つ」ような受動性とも違い、「愛・承認を求めすぎる人格」の飢餓構造と一致する。
「Knock knock! Let me go in and get the ace」
英語パートで挿入されるこのセリフも、語り手が他者の中に自分の“意味”を見つけようとする姿勢を暗示している。「君が包むだけ」「君に染まるまで」といった表現も含め、全編を通して語り手は自分を誰かに“完了”してもらいたがっている。
けれど同時に、「NOを空振った愛の中で」とあるように、その愛は常に失敗してしまう。
つまり、この曲は**“愛に飢えながら、愛を完了できない”という破局のリフレイン**であり、それでも語り手は語り続ける。「未完成だって何度でも言う」と。
C. 社会状況との照合:過剰な承認が生む、自壊の物語
『ヒバナ』の語り手が欲しているのは「恋」ではなく、むしろ「反応」である。
「もっとちゃんと○○してよ」という命令形が連続する歌詞は、他者からの承認を切望しながらも、自分から働きかける力を失った人格の姿を露呈する。
このような「飢餓型の承認欲求」は、SNSを中軸に置いた現代社会で加速している。いいね、リツイート、フォロー返し──可視化される関係性の中で、人は他者の反応を“期待する”だけでなく、“管理したくなる”。
だが、『ヒバナ』の語り手はその欲望に忠実であろうとするあまり、「痛み」を介したつながりにしか救いを見出せなくなっている。
これは、自分の声が「まともに届かない」世界において、せめて傷だけは共有したいという祈りに近い。
また、「笑えないくらいが きっと楽しいの」という一節に象徴されるように、悲しみや痛みそのものがエンタメ化される現代へのアイロニーも含まれている。
もはや“普通”に愛し合うことすら困難な社会で、人は「不安定な関係性のなかにしか実感を持てない」──そんな社会病理の裂け目に立つ歌こそが、『ヒバナ』なのである。
III. 結論──「未完成」なまま、君と燃え尽きたい
「もっとちゃんと不安にしてよ」
この言葉に、あなたはどこかで心を掴まれたのではないだろうか。愛してほしい。でも、その愛が形を持った瞬間に冷めてしまいそうで、怖くて、壊したくなる。そんな不完全で、不安定な感情を、『ヒバナ』は容赦なく暴いてくる。
語り手は、誰かに“ちゃんと応えて”ほしいと願いながらも、応答されることそのものに怯えている。だからこそ、何度でも「未完成だって言うんだ」。それは、完成を拒むことでしか保てない関係、壊れた愛への延命措置でもある。
けれど、その矛盾と自壊のリズムのなかにこそ、私たちは確かに共鳴してしまう。
この曲を聴いて「それ、私だ」と思ってしまうのは、痛みによってのみ愛を実感できるような不器用な私たちの姿が、そこに焼き付いているからだ。
だから、『ヒバナ』はあなたに代わって叫んでくれる。
「未完成でもいいから、応えてよ」と。
言葉にならない思いを持て余してきたあなたへ、この歌はそのまま、あなたの声になってくれるはずだ。
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