【導入】「まっすぐに生きる」って、誰のため?
「まっすぐに生きることが大事」――そんな言葉を、私たちは何度耳にしてきただろうか。嘘をつかず、寄り道せず、正しく、素直に。けれど、その「まっすぐさ」が、ある日突然「歪んでいる」と言われたらどうだろう。OSTER projectの《ストレートネック》は、一見すると軽妙なリズムとユーモラスな表現で彩られているが、その奥には深い痛みと怒りが隠されている。冒頭の「整骨院で『それじゃダメだ』と言われました」という一文は、まるで笑い話のようだ。しかしそれは、ほんの少しだけ真剣に生きてきた人間が、社会から「その生き方は間違ってる」と言われてしまう、その理不尽さを象徴している。
この曲に描かれているのは、「まっすぐに生きているのに、なぜかうまくいかない人」の姿である。真面目に頑張ってきたはずなのに、浮いてしまう。笑われる。矯正される。そして一人きりの夜に、涙を流すしかない。そんな人にとって、この歌は一種の救いであり、最後の叫びでもある。
「そんな私が好き!」
その言葉は決して、完璧な自己肯定ではない。むしろ、散々否定されてきた果ての、少し無理やりな言い聞かせに近い。でも、それでも言わずにいられない。自分を保つために。
この曲を読み解くことで、「ちゃんとしているのに報われない」という思いを抱えたまま生きる人たちの小さな声が、どれほど切実なものなのかを見つめ直すことができるだろう。
【本論①】整骨院で人生を「矯正」されるということ
この歌の冒頭に出てくる「整骨院で それじゃダメだと言われました」という一節は、単なるギャグではない。むしろこの短い言葉に、この曲の主題がぎゅっと詰め込まれているようにすら思える。
そもそも「整骨院」とは、身体の歪みを直す場所だ。猫背や肩こり、姿勢のズレを治して、正しく立つための支援をしてくれる場所。でもここでは、身体の歪みと一緒に、「生き方」まで矯正されてしまっている。まるで「君の生き方には問題があります」と言わんばかりに。
これは、もっと広く社会に広がっているメッセージと重なってくる。「普通はこうするでしょ?」「それはちょっとズレてるよね」「周りに合わせなよ」──そんな言葉の数々が、私たちの生き方に無言の圧力をかける。生き方を“正す”ことが、いつの間にか“良いこと”とされてしまっている。
歌の中の「私」は、「まっすぐに生きてきました」と自分の姿勢を語る。嘘をつかず、不器用でも真っ直ぐに歩いてきた。でも、整骨院で言われる「それじゃダメだ」という言葉は、そんな真面目さに対する否定だ。「まっすぐ」が悪いと言われる社会。そこにある矛盾が、この曲の最初の衝撃である。
整骨院の施術台は、あくまで身体の骨格を直す場所だ。けれど現実には、私たちは“生き方”までそこに寝かされている。スマホを見過ぎだとか、姿勢が悪いとか、注意されたあとに、「あなたの考え方も曲がってますよ」と言われるような感覚。整骨院は、社会の“理想的な姿勢”を押しつける象徴として機能している。
この場面がユーモラスでありながらも妙に胸に刺さるのは、きっと誰もが一度は、「そんなつもりじゃなかったのに」と思わされた経験があるからだろう。気づかぬうちに誰かの“理想”に巻き取られて、勝手に「矯正」されてしまう。そして、その過程で自分が少しずつ削れていく。
そんな中で、「涙が頬を伝いました」というフレーズが出てくる。整骨院のあと、自宅にまっすぐ帰った夜にひとり泣く。この涙は、身体の痛みではなく、自分の「まっすぐ」が否定されたことへの痛みなのだ。
【本論②】「まっすぐさ」が笑われる社会
この曲の中で、もっとも切実な痛みがにじみ出ている場面は、おそらくここだろう。
まっすぐな私をみんなが
指差し笑う
みっともないこの立ち姿
指差し笑う
これは、単に姿勢の問題ではない。「まっすぐであろうとする生き方」そのものが、からかわれ、恥ずかしいものとして扱われているのである。
昔から「正直者はバカを見る」と言われることがあるが、今やそれは冗談ではなく、日常のリアリティになりつつある。空気を読み、少しふざけて、自分を小さく見せた方が生きやすい。何かを本気で信じたり、真面目に取り組んだり、まっすぐな気持ちを出したりすると、「痛い人」として笑われてしまう。
この「笑われる」という体験は、ただのいじりや冗談にとどまらない。それは、自己の芯の部分を否定されるような深い傷になる。自分を大事に思ってきたその姿勢が、「みっともない」とされてしまうからだ。
なぜ、まっすぐであることが「みっともない」になってしまうのか。
たぶん、今の社会では「柔軟さ」や「冗談の通じる距離感」が、正しさよりも重視されるからだろう。あまりにも真面目であることは、「余裕のなさ」「かたさ」として受け取られてしまう。だから、人は自然と笑う側にまわり、少し距離を取って安心しようとする。
けれど、笑われる側にとっては、それは自己否定の嵐の中に立たされるようなものだ。しかもこの曲の語り手は、そうした視線に「うるせえよ/しらねえよ」と言い返す。それは反抗というより、かろうじて自分を守るための小さな叫びに近い。
ここに至って、この曲は単なる共感ソングではなくなる。「まっすぐなことは悪いことなのか?」という疑問が、はっきりと投げかけられてくる。
そして、最後のフレーズがそれに答える。
そんな私が好き
そんな私が好き!
そんな私が好き!!
これは反論ではないし、誰かに認められたいという願いでもない。ただ、自分自身に向かって言い聞かせている。笑われても、バカにされても、まっすぐでいたい。痛みを受け止めたうえで、なおもそう思えることの強さが、ここにある。
【結論】自分を守るために、自分を好きになる
OSTER project『ストレートネック』は、一見するとコミカルな印象を与える。けれど、その内側にあるのは、「まっすぐに生きること」が笑われたり、否定されたりする世界に対する、静かな怒りと、深い悲しみである。
まっすぐに歩いてきた人が、社会の中で「それじゃダメだ」と言われ、笑われ、「矯正」されようとする。そんな状況の中でも、この曲の語り手は「そんな私が好き」と繰り返す。その言葉は、たしかに自信に満ちた決めゼリフではない。むしろ、自分を何とか壊さずに守り抜くための、防波堤のようなものだ。
社会の空気に合わせて、適度にずる賢く、柔らかくなれる人が「生きやすい」とされる時代にあって、「まっすぐすぎる」人はしばしば損をする。けれど、それでもまっすぐでいることには、やはり誇りがある。誰に何を言われようと、「そんな私が好き」と言えるその声は、小さくても強い。
自己肯定という言葉は、時に軽く聞こえてしまうけれど、ここで描かれている「自分を好きになる」という行為は、もっと切実で、もっと重い。それは、他人の評価に傷つきながらも、なんとか自分の輪郭を守ろうとする、生きるための姿勢そのものだ。
だからこそ、この曲は、「まっすぐに生きることに疲れてしまった人」たちの心に深く染みわたる。どこかで誰かが笑っていても、自分にだけは、自分を肯定してやる。そのことの大切さを、この曲は私たちにそっと教えてくれている。
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