序論:「愛」の別の仕方
はじめに書いておこう。これは一つの仮説である。
とりあげる楽曲は内緒のピアス『プロポーズ』。
仮説を開陳するまえに前提というか、広く共有されている認識を確かめておかなくてはならない。
言葉を選ばずにいえば、この曲は「メンヘラ」や「ヤンデレ」である語り手が己の執着を歌っている。そう認識されているはずだ。そして私の仮説は、この認識と衝突することになる。
この曲は先のような認識の曲ではない。内省であり、擬人化であり、大人になることで生じる別れの曲だ。どういうことだろう、と思う読者諸氏のためにさっそくこの仮説の詳細をみていこう。
一章:「僕」の正体。内省の呼び声。
文学であれ、アニメであれ、音楽であれ、『プロポーズ』のような、妖艶で、暴力的で、粘着な愛の曲は多く存在している。大正時代の反自然主義まで遡ることなどをせずとも、同じボカロ曲であればDECO*27の『モニタリング』が挙げられるのではないだろうか。
故に、私たちはこのような疑問を持たねばならないだろう。先行作品が星の数ほど存在するジャンルの中に『プロポーズ』という楽曲もカテゴライズしていいのだろうか、と。
本論の冒頭にもあるよう、私の答えは否だ。そう考えるにはいくつかの根拠がある。
まずは、語り手の「僕」と「君」の関係性が明言されていないことが挙げられる。ただならぬ関係があったことは歌詞から察することはできるだろう。しかし、「君の中で醜く育った」や「可愛いその表情で僕のことを殴って」など、時系列的にも、関係性的にも具体的にどのようなものかが、不明である。
しかし、これだけではまだ、この不透明さが視聴者に想像の余地を与えているのだ、という文学的解釈ができるだろう。
だが、もう一つの根拠は無視してはならないはずだ。例えば前述した「君の中で醜く育った」や「わがままな君の中で綺麗に腐った罰」という歌詞。語り手である「僕」が、あまりにも「君」の内部を知りすぎていると感じないだろうか。それにも関わらず、「君」は「僕」から離れていく、あるいは「僕」は自身の消滅を祈るような歌詞が続く。
「君」の内部を熟知しているにも関わらず、「君」は「僕」から離れようとし、「僕」はそのことに戸惑っている。一般に、「ヤンデレ」や「メンヘラ」をテーマにした曲は、相手の気持ちを無視した行動が伴うものだが、本曲の「僕」は知りすぎている。
さらにいえば、アニメ作品『SchoolDays』での展開を踏襲するならば「僕」の憎悪にも似た重い感情は「君」に向けられてしかるべきだ。しかし、そうではない。この曲では「他の誰かの頭の中に君がいるなら」という風に歌われているからだ。それどころか、「僕」は「君」に対して明確な破壊衝動を抱いていない。
これはどういうことだろうか。
私は「僕」の正体をこのように考える。
つまり、「僕」は「君」のトラウマの擬人化なのではないだろうか、と。
二章:「君」が「僕」から離れる理由
「僕」は「君」が生んだトラウマの擬人化であり、この曲はそのような「トラウマ」から「君」への思いを歌ったものである。これが『プロポーズ』に対する私の仮説だ。
故に「僕」は「君」に執着する。トラウマとは反復してもらわなければトラウマ足りえないからだ。だからこそ「僕」は「聞いて」と何度も呼びかける。
別の視点から考えれば「わがままな君の中で綺麗に腐った罰」や「愛情は君の中で醜く育ったな」というのは「僕」自身のことなのだともいえる。繰り返される記憶は「醜く育った」「愛情」であり、トラウマによる行動の制限は「綺麗に腐った罰」と表されおり、換言すれば「君」を縛り付ける「僕」のことを指している。
しかし。
しかし、である。
「君」は「僕」を隠蔽しようとする。想像するに「君」はトラウマを乗り越えなければならない事態に直面しているのだろう。恐らく、「君」には好きな人ができたのだ。そして、その好きな人も「君」のことをよく思っているはずだ。これによって「僕」は反復してもらえる機会が激減したのだろう。だからこそ「僕」の攻撃性は「他の誰かの頭の中に君がいるなら」という経路をたどる。しかし、繰り返しになるが、「僕」は「君」のことを熟知している。だからこそ、乗り越えられる可能性ついても「僕」は「仕方がないとわかっているけど」と語るのだ。
改めてまとめてみよう。
「僕」の正体は「君」が抱いているトラウマの擬人化である。
ゆえに、自身を反復してもらうように「聞いて」と繰り返す。
ゆえに、攻撃性は決して「君」には向かない。
ゆえに、「君」が「僕」を乗り越えることも察することができてしまう。
結論
いかがだっただろうか。
いささか突飛な仮説であることは承知しているつもりだ。たしかに「メンヘラ」「ヤンデレ」のような雰囲気をもつ楽曲であることから、本曲を平成とは違う、いうなれば令和型の「メンヘラ」「ヤンデレ」の曲だという風に分析することも可能だろう。
しかし、これまでのことから自分の仮説にそれなりの説得力を持たせることができたと筆者は考えている。最終的な判断は読者に任せたい。
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