序論:インターネットが壊れた?
「インターネットが壊れた」というジョークがある。
本来は「PCの調子が悪い」や「インターネットにつながらない」というべきところが、パソコンにほとんど触れたことがない人だと、慌てて「インターネットが壊れた」と言ってしまう。もし本当にインターネットが壊れたのであれば大事件である。そんなところを茶化したのが「インターネットが壊れた」というジョークというわけだ。
とはいえ、本当に現代のインターネットは壊れていないのだろうか。技術的・物理的な意味ではなく、文化的な意味で。
そんなことを考えるために私たちはlivetuneによる『Tell Your World』の歌詞からインターネットの幸せな形を浮き彫りにしていきたい。二〇一一年に発表された本曲は「Google Chrome “あなたのウェブを、はじめよう。” キャンペーンCMソング」として書き下ろされたものであるが、私はこの曲はインターネットの幸せな時代を象徴する一曲であったと思う。
さて、早速考察を始めよう。
一章:『Tell Your World』が映した幸福な時代
この曲は初音ミクないしボーカロイドという存在の可能性を描き切ったものであると同時に、インターネット自体の可能性も描いていた。本節では、そのことを見ていきたい。
例えば次の歌詞。
「君に伝えたいことが/君に届けたいことが/たくさんの点は線になって」
私はこの箇所から、プラットフォーム登場以前のことを思わずにはいられない。
日記を掲載するためのホームページの作成も簡単ではなかったし、見知らぬ他者との交流は某匿名掲示板以外にも多く存在した。フラッシュ動画などはもちろん、無限ポップアップや「赤い部屋」のような悪戯も多くあった。雑然としていたし、アンダーグラウンドであったけれど、プラットフォームに吸収されるより前の「点」が多くあった。
そして『Tell Your World』には「教えてよ君だけの世界」というフレーズがあったが、知識、技術力、美的センスなどを含め、インターネットに漂っていたのは整形されていない「君だけの世界」だったはずだ。
プロもアマも混然一体となっていた時代。悪いこともあったが、ACジャパンの「あいさつの魔法。」を改変した「グレートありがとウサギ」なんていう作品も登場していたことは多くの人が覚えているのではないだろうか。
もう具体例は充分だろう。このように『Tell Your World』には、プラットフォームがインターネット世界を専制的に君臨する前の在り方が刻まれているように思う。
もちろん、現代ほど法整備もされていなかったため、問題は多くあったと思う。情報の偏りという点についても「フィルターバブル」という言葉より前に「グーグル八分」(検索エンジンのアルゴリズムによってユーザーに提供される情報が偏ること)ということも指摘されていた。ゲーム『メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ』においても、そういった問題点によって訪れるディストピア的世界観が開陳されている。
しかし。
しかし、である。
少なくとも、先のような偏りによって「分断」されるよりも、「点」による連合体が漂わせていた未来の可能性が強く信じられており、今思えば、そういった連合こそ、インターネットの幸せな形だったのではないか、と思わずにはいられない。
それこそ「点」が「線」になり、「いくつもの線は円になって/全て繋げていく」と歌われているように。
二章:プラットフォームの登場と分断の影
前節にてみてきたように、『Tell Your World』の歌詞、そこから導き出される世界観は今思うと非常に楽観的だったと思う。
しかし、インターネットが見せてくれていた幸福な未来は、今や到底信じられないものになっているのではないだろうか。読者のなかには当然、「いや、プラットフォームのなかでこそ、点と点が結びつくスムーズな環境が整っている。インターネットの世界は幸福な形へ変化しているし、個人は昔ほどバラバラでなくなった」という人もいるだろう。
さらにいえば、たしかに属するプラットフォーム、取捨選択している情報の質により「君だけの世界」は日々更新・強化されていく。連合の基礎となる「点」は、より独自性をもったものとなると考えることもできる。
しかし、私にとっては甚だ疑問である。確かに今この瞬間も「点」は繋がり続けているだろう。一方で「分断」も進んでいることは認めなくてはならない。
さて、このような現状が『Tell Your World』に刻まれていた未来の可能性の行きついた先なのか、といえばそうではないと私は思う。たしかにプラットフォームの登場や専制は多くのインパクトをもたらした。しかし、いくらプラットフォームが現れたとしても、別の類似のサービスが現れ、そこにも人が集まり、交流する。プラットフォーム自体を一つの「点」と見なしてしまえば、私たちはまだ夢の続きがみれるはずだからだ。
だが、たぶん、そうはならない。
世界は変わってしまった。いや、人が変わってしまったのだ。
結論:呼びかけに応答する他者という希望
思い返さなければならないのは、私たちが夢見ていたのはインターネット技術の発展がもたらすSF的ユートピアではなく、知らない誰かと自由に(!)繋がれるという素朴な可能性だったということだ。実は『Tell Your World』が描いているのは、遠い未来の話ではなく、私たちの普段の生活で展開されていたことの拡張だった。そのために決して失ってはいけない存在が、歌詞の中に刻まれている。
それはつまり「教えてよ」といえば応答してくれる存在だ。『Tell Your World』の歌詞から私たちが本当に救いあげなくてはいけないものは、そういった応答可能な他者の大切さではなかったのではにだろうか。事実、この作品は何度も「君」に呼びかけている一方で「僕」や「私」という単語から始まるメッセージは登場していない。
幾度の呼びかけが、この作品のなかにはある。
しかし今、この呼びかけに答えることができる人はどれほどいるのだろうか。この問いへの解答は読者に委ねたい。
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