【歌詞考察】サツキ『第n次元』言葉を越えて、心の未来へ

サツキ

序章:「挑戦」の正体──『第n次元』への飛翔

一見すると「これは何の曲なのだろう」と首をかしげたのではないだろうか。サツキ『第n次元』の歌詞は、視聴者を置いてきぼりにする危険性がある。挑戦的な歌詞内容だが、それが具体的に何に対する挑戦なのか、なぜ挑戦するのか、という部分の説明がほとんど存在しない。

しかし、歌詞内容を慎重に整理してみることで、挑戦の内実がクリアになる。本論の目的はそれだ。

先んじていえば、この目的が達成されるとき『第n次元』というタイトルの意味も明らかになっていく。では改めてこの曲の挑戦は何なのか、さっそく見ていこう。

第一章:「あなた」と「キミ」、二つの他者

この曲の歌詞には妙なところがあることに、読者はどの程度お気づきだろうか。

その妙なところとは、登場人物のことである。まず語り手である「私」。そして、その「私」が語り掛ける「キミ」。そして楽曲の最後に登場する「あなた」。

不思議である。歌詞の整合性を保つためであれば、最後の「あなた」は「キミ」としなければならない。ここに意味を見出すのであれば、この「あなた」と「キミ」は別の存在だと考えるべきだろう。

では「あなた」と「キミ」はどのように異なっているのだろうか。そこに対する明確な説明はないが、文脈は大きくことなっていることだけはわかる。

「あなた」が登場する部分は、「あなたとはさようなら」。

「キミ」が登場する部分は、「未踏の彼方に(…)辿り着きたいと思うの!」。

つまり前者は「離別」、後者や「共同」ともいうべき文脈に紐づいている。

さて、この楽曲には「あなた」以外にも「離別」を示す部分が多く存在している。「要らない荷物は捨てろ」や「此処いらには/居るべきじゃないの」という箇所だ。さらにいえば、ここで示されている「此処」というのは「言葉」と結びついているようなのだ。例えば、歌詞冒頭の「言葉は、意味を持って」や「漏れ出ていたその言葉」といった具合である。

これまでのことを一旦整理すると「私」が離別しようとしている「あなた」の他に「言葉」だと言えるだろう。今一度歌詞に注目すると「ペダンチック」という、これまた「言葉」に対して冷笑的とも思える単語が登場する。衒学。学問や知識をひけらかすさま、という意味だ。

言うなれば、この曲の挑戦というのは「言葉」からの離脱ということにならないだろうか。ほとんど連想ゲームのようになるが、前述した「あなた」というのは、そんな「言葉」に戯れている存在だということだ。

この挑戦の意味について、私たちは直観的に理解できる部分があるのではないだろうか。SNSに日々触れている人であればなおさらだろう。

第二章:言葉の戯れから離脱する「私」

「あなた」が「言葉」との戯れを愛している唾棄すべき、離脱(挑戦)すべき存在であるとするならば、「キミ」というのは、一体、どのようなものと結びついているのだろう。

もう一度歌詞内容に戻ろう。

「キミ」が登場する箇所の直前に、もう一つ注目すべきキーワードがある。それが「覚悟」だ。なかなかに古色蒼然とした雰囲気のある言葉であるが、この「覚悟」は「精神」とも言い換えることができないだろうか。そして、『第n次元』には、このように精神性に重きを置いている箇所が他にもある。例えば「不可視なものを、愛でよう」という部分。歌詞内容のモチーフから、この「不可視なもの」が「精神」だということがわかるはずだ。

さて、ここまで言えば、「あなた」と「キミ」が、それぞれ象徴しているものは対照的だということがわかるだろう。「あなた」は「言葉」、「キミ」は「精神」といった具合である。

では、ここで最後の問いをたててみよう。言葉(記号的なもの)からの戯れから離脱しようとしている「私」が「精神」や「心」に重きを置いていることはわかった。しかし、それはなぜなのか。ここで見落としてはならないのが、本曲は「理想」や「未来」への前進も重要視している、という点である。なし崩し的な現状より、「精神」や「心」が描いた「理想」や「未来」を好んでいるのが、本曲の特徴だ。

この気概はタイトルにも表れている。『第n次元』。これが本当に示しているのは、まだ到来していない「理想」、どんな次元にも囚われていない、どこにも現実化していない未踏の「未来」の別の表現なのだ。そして、「精神」や「心」に重きを置くのも、それらが未踏の将来の原資だと語り手の「私」が考えているからである。

結論:『第n次元』が描く未踏の未来

いかがだっただろうか。

『第n次元』というタイトルとその歌詞。不可解にみえる内容でも、この曲のテーマや通奏低音はクリアになってきたはずだ。

しかし、この解釈にも欠点はある。それは、そもそもこのようなテーマがなぜ今なのか、という点だ。これについては同類のテーマの時代変遷や作家論のようなアプローチもあるだろうが、それは別の機会に譲るとしよう。

いずれにせよ、ボーカロイドという元来「記号」であったはずのものが「未来」の原料を我々の「心」だと歌っている姿は感慨深いものがある。

私たちはこの呼びかけにどう答えるべきなのだろうか。いや、答えられないからこそ、希望があるのかもしれない。「第n次元」にある答えを私たちはこれからも探し続けなくてはならないのだから。

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