序章:別れの不完全性について
恋についての完璧な出会いはあるのに、完璧な別れはないと思う。
なにせ相手はかつては好きだった人なのだ。別れの予感が脳裏をよぎったとしても、関係を修復しようと試みるだろうし、まだ未練が残っている人は、別れという事実をどうやって受け止めるべきか、しばらくは分からないままでいるだろう。
別れはいつだって、生煮えだし、中途半端だし、どこか稚拙なものになる。
そんな言葉にしがたい人生のワンシーンを歌ったのがAyaseの『夜撫でるメノウ』だ。
一般に別れの曲と言われているが、本論では、その解像度を上げていく。二人の間で何が起きたのか、歌詞をなぞり、その具体像に迫っていきたい。
第一章:“終電”の食い違いが示すもの
この曲には妙な点がある。それが冒頭と中盤の歌詞の対比だ。
冒頭では「終電はもうないよ」と歌っているが中盤では「終電前のホーム」となっている。場面設定にブレがあるのだ。これをどのように解釈すべきか。そのために冒頭の続きをみていこう。
「終電はもうないよ」のあとの歌詞のあと注目すべきポイントは「思い出に溺れる前にこの場所でさようなら」という一文だ。このことから、語り手は思い出に耽溺しそうになっていることがわかる。そこから類推と「終電はもうないよ」というのは過去の出来事だった可能性が出てくる。つまり「終電はもうないよ」というのは、二人の出会いの場面の階層だったというふうに読めるのだ。
恋に落ちた直後、片時も離れたくないと思っていた二人は、「終点」すら想像が出来なかったはずだ。冒頭の歌詞は、そのときの熱量を歌っている。
そして、時間は「現在」になる。「いつもと同じペースで歩く」と続く歌詞は、「終点」などなかった二人が、共に過ごすなかで感じた不協和音を、幾多の諍いを「傷つきすぎたよね」と表現する。「同じペースで歩」いていた二人が行きついたのは、かつて揃って終電を逃した駅のホームだったという構造が、ここにはある。
さらに続けてみよう。
本曲には、先の場所の対比のような表現がもう一つある。
それが前述した「いつもと同じペースで歩く」だ。後半には次のような歌詞がある。「いつもと同じテンポで笑う」というフレーズだ。もはや二人の関係が修復できないことを示唆する決定的な場面。「これまで」と「これから」の乖離を予感させる、ささやかな、けれど絶対的な差異。そして、これが気のせいではないことを示すのは「わざとらしく萎れた空気」という歌詞だ。おそらく「これまで」は、話が尽きることはなかったのだろう。お互いがお互いを知りたかったし、日常のささやかな事を共有したかった。しかし、もはやそんな間柄ではなくなった。共有もしたくなければ、特に関心もなくなってしまったが故に、会話は不自然に止まる。そんなときに漂う雰囲気をここでは「萎れた空気」と表現しているのだ。
さて、ここまで語れば、本曲がどのような空気感のもとで別れたか、おおよそ伝わったと思う。では、これ以上語ることはないのかといえばそんなことはない。まだ私たちは、二人の心情に迫っていないからだ。
第二章:別れの原因をめぐる仮説と余白
喧嘩別れのようなものではないのだろう。先程分析した歌詞からテンポは違えど、二人はまだ笑っていられる間柄であることはわかる。「元気でね」や「ありがとね」という言葉がいくつも登場していることから、二人は憎しみ合っているわけでもないようだ。
ただ、別れの原因については、語り手は次のように述べている。「ありがとうの言葉とごめんねと上手く伝えられなかった」。
これらのことを勘案すれば、二人は互いを嫌い合って別れたわけではないものの、恐らくは相手は語り手に愛想を尽かした、もしくはそれに違い状態にまでなってしまっていたということがわかる。ただし、「元気でね」や「ありがとね」という言葉から、別れの直接的な理由は、語り手にとっても、どこか納得のいくものではなかったのではないか、と私は思う。しかし、この理由は同時に、語り手に対して、自分の振る舞いを反省させるものだったはずだ。
上記のことから、私は相手のほうに別の恋人、もしくは好きになった人が出来たのではないか、と思えてしまう。そのように仄めかしているのは、「ここからはもう一人で」という部分だ。この箇所の秀逸なところは、文章として未完成なところにある。つまり「誰が」と「どうして」が抜けているのだ。
例えば「お互いに」「過ごす」といった具合に「これからはもう(お互いに)一人で(過ごす)」と補完することもできれば「これからはもう(君は)一人で(出ていく)」という風にも変換することができるような余白がある。そのうえで、語り手が反省をするような文章を考えるとすれば、「これからはもう(僕は)一人で(暮らす)」といったものになるのではないだろうか。そして更に、この仮説が合っているのであれば、相手には、別の恋人がすでにいるという可能性が立ち上がってくる。
私がこの説を推す理由は他にもある。歌詞内容から判断すると、語り手にとって相手は、いつの間にか変わってしまった。この変わった原因の一つに他者の存在があると私は思うのだ。
いかがだろうか。相当強引な読み方であることは筆者自身も自覚しているところではある。また先述したように、本曲にはほかにも「読み」の余白がまだまだ残されている。本論で披露した説は、そんな余白のほんの一つを小さく塗りつぶしたに過ぎない。
結論:夜に撫でられる感情の行き先
改めて全容を記してみたい。
本曲は、出会いの回想から始まり、別れの理由の自覚とお互いに生じた差異の実感を歌っている。さらにいえば、この差異による別れは、語り手に反省を促すものであった。だが、この別れは、単に暗いものでもなかった。これらのことから、筆者は、少なくても相手側にはすでに別の恋人がいる、もしくは、それに近しい人物がいると判断した。その他者の存在を語り手は知っていたのか、そこまでは不明である。もしかしたら別れのときに「別に好きな人が出来た」と伝えられたのかもしれないからだ。だが、自身の至らなさに自覚があった語り手は、その理由を咎めることもできず、ただ「元気でね」「ありがとね」と前向きな言葉を贈るしかなかったのだ。 以上が、本論が考える『夜撫でるメノウ』の全容である。この解釈が少しでも「面白い」と感じてくれたのなら、それは筆者にとって大きな喜びであることには違いない。

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