【歌詞考察】Sohbana『個々々々々々人』──“個性”という呪いのその先へ

Sohbana

冒頭:「個」をめぐる冒険

「ボカコレ2026冬」おつかれさまでした!

そんなわけで早速、そこにエントリーした曲から一つ取り上げてみたい。本論で取り上げる曲は、Sohbana『個々々々々々人』。「ボカコレ2026冬」で四位となった作品だ。

タイトルだけをみれば「ネタ曲」感があるのは否めないが、私はこの曲に宿る想像力にとても驚かされた。本曲に潜む問題提起、その先にある挫折と仄かな希望。

普段、このサイトの文章は比較的感情を抑えるように書いているのだが、その制約を外すと「いやあ、素晴らしい!」という感想があふれ出すだけになってしまう。

それだけで終わらせると本サイトの存在意義が揺らいでしまうので、改めて本論では上述した「問題提起」「欲望」「希望」を明確にしてみたい。そのことで筆者の感動が読者に伝われば望外の喜びである。さっそくみていこう。

第一章:「個」という得体の知れない枠

本曲のテーマは明確である。ずばり「個人」の行方だ。

この曲では「個」というふうに書かれているが、歌詞を読めば「個」は「個人」や「個性」とみても大過ないことがわかる。例えば歌詞には次のようにある。

「個であることで嘆いちゃって」

「個々々々々々々々々々々々々々人が/個々このように間違うの」

さらにいえば、この曲で際立つのは「個」であること自体のネガティブな側面をうきぼりにしていることだ。象徴的な部分が以下である。

「個という得体の知れない枠に嵌められてしまいまして」

実をいえば、この「個人」や「個性」をめぐる言説は、様々な論者にとって近年は比較的ネガティブに語れてきた。

例えば二〇二一年に出版された橘玲『無理ゲー社会』では「個人」や「個性」を賞賛してきた過去を振り返り、そのネガティブな側面を批判している。また社会福祉の観点から、「孤独」が問題視されていることもあり、その処方箋として「コミュニティ」が礼賛されていることは多くの人が目の当たりにしていると思う。

「ナンバーワンにならなくてもいい。もっともっと特別なオンリーワン」と某アイドルグループが歌った曲が国民的ヒットソングとなった時期から考えると、賞賛されていた「個」について「得体の知れない枠」と言われているのは隔世の感がある。

本曲は、そのネガティブな側面を全面的に引き受けていると言っていいだろう。それは次のフレーズからも明らかだ。

「個々々々々々人が/個々々々々々性が/こうして/個をして/壊れかけている」

そして、本曲は「個」という枠をあてがわれた私たちの欲望も浮き彫りにする。

「誰かと々くなりたくて」

「どっかの村に住まいたくて」

この箇所については、先程述べた「処方箋」と軌を一にしていることは今でもないだろう。

ここまでで既に「個」をめぐる状況に対し「問題提起」を行い、潜む「欲望」を明らかにし、そのうえでひとつの曲に収めた力量には感服するばかりだ。

だが、ここまでで勘のいい読者であれば気づいてしまうだろう。では「希望」とは何なのか、と。

「個性」の礼賛を辞めることだろうか。

「孤独」にさせないようコミュニティを充足させることだろうか。

いいや、違う。

ここでいう「希望」とは、そのような牧歌的なものではない。誤解を恐れずにいうならば、ここに映し出される「希望」というのは破壊的で破滅的な想像力とでもいうべき危険なものだと筆者は思うのだ。

第二章:破滅的想像力という名の希望

重要なのは、本曲が要所要所で議論の土台についても疑義を挟んでいる点だ。

例えば冒頭の「要る、要らないの話ですか」やクライマックスの「居なけりゃ個ですらないので」云々という点がそれである。

私にはこの自問が「個」という概念自体の要不要を問うているように思うのだ。

「個」は実在しない。

金科玉条のように扱っている「個」というのは、しかし、例えば私たちの生物学的身体という意味においても、その実在を認めることは難しい。言うまでもなく、私たちの体は様々なバクテリアやウィルスが寄生している。私たちの身体機能のほとんどは、様々な要素の協働の結果に過ぎない。

「かけがえのない個」というのは意識の産物である。そうであるからこそ、様々なSF作品において、この意識は解体されてきた。アニメ作品『新世紀エヴァンゲリオン』の「人類補完計画」や作家・伊藤計劃の小説『ハーモニー』、アーサー・C・クラーク『地球幼年期の終わり』をも含めていいかもしれない。

私は、この「意識」への挑戦が本曲にも含まれていると思う。その象徴的な歌詞が「個であることを死因にして」という部分だ。「個」というのは、その前提として、他との差異から成り立っている。すべてが同一で均一であれば「個」という概念は誕生しえない。「個」であるからこそ、そこには「始まり」と「終わり」、換言すれば生死という認識が始まる。そう。「個」であることが「死因」というのは、視点を変えてみれば首肯できることなのだ。

さて、「個」であることが、それを強制されることが苦悩の源泉であれば、それをかなぐり捨ててしまおう。そういった破滅的な想像力が、「希望」が本曲には宿る。これこそが、この作品の最大の魅力だと筆者は思うのだ。ある種の「ネタ曲」風であり、社会時評も側面もみせつつ、最後にはSF的想像力を存分に発揮する。

聞いていて楽しい。

そう強く思った。

これが私が本曲を高く評価する理由である。

結論:この曲を笑えるか?

これ以上衒学的になることや、実際の力量として私自身が力不足であることから、本曲の在りようと思想家ジョルジュ・バタイユの「死」を結び付ける議論を本稿では避けた。

ただ、既に示したとおり、本曲には様々なジャンルからの考察の呼び水となるような可能性を秘めているのは、既にお分かりになったと思う。

そして、この豊潤な可能性は、これからのボカロシーンの想像力に、新たな刺激をもたらすことを私は信じている。

だがすべてはこの曲の消費の方法にかかっている。バトンは、視聴者に渡された。

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