【歌詞考察】Orangestar『Surges』「最高を目指して征ける」成熟の物語

Orangestar

序章:「青春の応援歌」を超えて——感動を構造として読む

「考察なんて不要だろう」という声が聞こえてきそうな曲だ。

Orangestar『Surges』は、そう思わせるほどの愚直なメッセージと熱いエネルギーが込められている。特に「カロリーメイト」とのコラボMVは映像の効果もあり、青春の応援歌だということを、感動的な形で視聴者へ届けてくれた。

だからこそ、と言うべきだろうか。

本論では、その感動の形を歌詞の精読によって仔細に浮かび上がらせていきたい。

そうすることで、この曲の応援は青春の主役である10代のみならず、何かに打ち込んでいるすべての人に届くことがわかるだろう。

一章:語りの二重構造:「掴めない光」の前後差

確かに『Surges』は10代のための曲であるだろう。歌詞の中に「大人になる前の延長戦」とあるのだから、それは認めなければならない。

それでもあえて「何かに打ち込んでいるすべての人」のための曲でもあるということを説明するためには、本曲が二つのテーマに分裂していることを示すべきだろう。

特に象徴的なのは「踠いていたって何も掴めない光が/僕らには上等!」という部分だろう。前半では、先の歌詞の直後に「なんて歌っている」とあるが、後半の同じフレーズの直後には、それが消えている。

この差異は小さいようで大きい。前者は微細ながらシニカルな色彩を帯びているが、後者ではそれが消えている。これは「何も掴めない光」という歌詞の解釈に繋がってしまうからだ。つまり、前者では「何も掴めない光」に対して、それを本当に信じていないのだ。平たく言ってしまえば、斜に構えている。「何かは得られるだろう」と語り手は思っているのだ。その証拠となるのが、先の歌詞の直前にある「描いた未来が明日になるまで」という部分。「描いた未来」を手に入れることを信じているということは、換言すれば、「何も得られない」ことは考えていないのだ。

しかし、後者では、そのような姿勢が消えている。代わりに注目したいのが「踠いていたって何も掴めない光が」の前にある次のような歌詞だ。

「僕たちは最高を目指して征ける」

この態度の変化に読者はお気づきだろうか。ここでは「できる/できない」の価値判断が宿っているのだ。この価値観があるため「踠いていたって何も掴めない光が/僕らには上等!」という意味も変わる。つまり「何も掴めない」としても、「最高を目指して征ける」という態度になる。言い換えれば、この時点で語り手は「何も掴めない」ということも充分にありえることを知っているのだ。これも先と同様の構造がある。「最高を目指して征ける」の前に「望まぬ未来がそこにあったって」とあることが、そんな「何も掴めない」という事態を想定していることの証左だといえるからだ。

では、なぜこのような考えの変化が生じたのか。

それを次節では考えていきたい。

二章:『Surges』の普遍性——10代を越える応援歌

この変化の原因に関する自然な考えは、「何も掴めない」という現実を目の当たりにした、といったものだろう。

そして実際、このような現実は冒頭で述べたMVだけではなく歌詞の中にもある。端的にいえば「涙滲む僕らの声」と「願っていた明日に届かない」という部分だろう(ちなみにカロリーメイトとのコラボMVでは、コロナ禍によって様々な大会が中止になっていることが描かれている)。

前者の「涙滲む」については、もはや説明不要だろう。大きな挫折があったことがここで示されている。さらにいえば「願っていた明日に届かない」という部分も示唆的だ。これこそ「描いた未来が明日になる」ことへの断念でもあるのだから。

これまでのことをまとめてしまえば、やはり曲の前半と後半の間には先のような挫折、「何も掴めない」という現実を目の当たりした経験があったということを示している。これが前半と後半の態度の変化を生み出したのだ。

そして私は、この態度の変化こそ、冒頭で示したように、本曲が「何かに打ち込んでいるすべての人に届く」と確信している部分である。

これまで見てきたように、本曲は前半と後半で明確に対照的な構造を有している。そのような観点でいえば、前半には「大人になる前の延長戦」とあるが、後半には、それ自体(あるいはその言い換えとも思わしき箇所)も消えていることの意味を考えなくてはならないだろう。

そのような点を考慮すれば、「大人になる前の延長戦」=子どもであったときは、前述したとおり、どこかシニカルな態度であったということになるだろう。しかし、これも分析してきたとおり、大きな挫折を経て「それでも」と自分に言い聞かせ「最高を目指して征ける」という姿勢は、大人となったということではないだろうか。

目の前の現実に冷笑的なスタンスでいるのは、一見、大人っぽい所作のように思えるが、少なくとも本曲では、現実に対して、最悪の可能性をきちんと想定して「それでも」と立ち向かえることが「大人」だということになる。

これらが本曲について「何かに打ち込んでいるすべての人」に届くと私が考えている理由なのだ。

結論:Orangestarが描く“リスキリングの時代”の希望

いかがだっただろうか。

熱中することに対する応援歌は、10代のための曲だと多くの人が思うところではあるだろう。しかし「リスキリング」というワードが浸透している現代において、働いている人でも応援を欲しているはずだ。

本曲は、そんな人たちへの応援歌であることは、これまで示してきたとおりである。

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