序章:狂気的ラブソングの“読み直し”へ
ひどく毒々しい歌詞。粘着質な愛情。暴力的な執着。
ここまで振り切れるといっそ清々しいとすら思えるのは、syudouの『キュートなカノジョ』という楽曲だ。この狂気的なラブソングは、多くの人にカバーされ今でも広く聴かれていると思う。
これだけ耳目を集めた作品なのだから、当然のように大量の「考察」を生み出すこととなった。本論もネットに撒かれている大量の文章の一つになるわけだが、いかんせん本曲は約四年前の曲は、すでに語り尽くされていると言っても大過ないだろう。
しかし、それでも本曲を「考察」しようとしたのはワケがある。それは、本曲に対する「考察」の多くは、ある点を見落としている、いや、思い違いをしているためだ。
本文では『キュートなカノジョ』の一般的な「読み」を歌詞内容から整理したあと、前述した「思い違い」を指摘し、「読み」の刷新を行っていきたい。
では早速はじめよう。
第一章:執着と支配の構図
改めて、一般的な「読み」の前提を念のため書いておく。本曲は恋愛の曲であり、語り手である「アタシ」の執着を描いている。
では、この執着の震源は何かといえば、それは「アナタ」への疑念だ。冒頭の「背中につけられた誰かのキスの跡」というフレーズは、そのような疑念のきっかけを表している。端的にいえば「アタシ」は「アナタ」の浮気を疑っているのだ。
そんな「アナタ」への「アタシ」の執着は、様々なことへの「把握」によってあらわされている。「精神から全身まで」から続く「完全把握しないと気が済まないの」という歌詞が、そんな精神を表現している。
さらに「アタシ」は「アナタ」を支配しようしている。そのためのツールとなったのは「アタシ」自身の魅力に他ならない。曲名の『キュートなカノジョ』という言葉は、そのものズバリのフレーズであるが、それ以外にも「怒鳴ってたって目が合って一撃/洗脳完了/女上手」というのも「アタシ」の試行の一つだろう。どれほど無茶なことを言っても、『キュートなカノジョ』である「アタシ」に対して「アナタ」は愛想を尽かすことはない。
本曲の通奏低音は、自身の魅力をもってすれば人心掌握など容易であるという、そんな歪んだ自信である。
しかし。
しかし、だ。
このような読みは確かに歌詞内容から一定の妥当性を帯びるものではある。だが「アタシ」と「アナタ」の関係性を、先の歪んだ主従関係というフレームワークに押しとどめようとすると、歌われている内容に破綻する部分が出てくる。
この破綻こそ、私たちが「一般的な読み」を内側から食い破るための鍵なのだ。
第二章:その“洗脳”はどこまで本当か
まず、前述した「破綻」を見ておこう。
この歌の冒頭において「アタシ」は「アナタ」に対して「洗脳完了」と歌っている。だが、そのあとに「実際の問題はその眼中にアタシ何割くらい担ってるか」と問う場面が登場する。このような問いが発生するということは、「洗脳完了」は、実際のところ空疎な宣言だということを暗に表しているのではないだろうか。
さらに続ければ「騙し奪われる恋でもいいの」というフレーズも妙である。「洗脳完了」したにも関わらず、このシニカルな視点は、(繰り返しになるが)「洗脳完了」という宣言が「アタシ」には、実は心許ないものだったということだともいえる。
そして何より深刻なのは、本曲のサビ部分だ。
前述のことを整理すれば「アタシ」は魅力によって「アナタ」を支配しているという構図だったはずである。しかし、その一方で「愛しちまうのさ」という言葉が何度も登場する。これは妙だと筆者は思う。
「アタシ」の態度からいえば、ここは「愛されちまうのさ」が本来であれば正しいはずだ。「怒鳴ってたって目が合って一撃」や「洗脳完了」「女上手」の直後であることを鑑みれば「それでも愛されちまうのさ」として、魅力に対する自信を歌ったとしても不思議ではない。しかし、ここでは「愛しちまうのさ」とあり、あくまで「アタシ」が能動的に「アナタ」を愛しているという態度が表明されている。
これはどういうことか。
ここで私たちは、次のような考えに至らなくてはならないだろう。
「アナタ」の性別が女性だったのではないか、ということに。
そう、つまり、『キュートなカノジョ』の「カノジョ」とは「アナタ」のことであり、これは「支配する」曲ではなく「支配されている」曲ではないのだろうか。このように考えても、実は不思議と辻褄が合う。魅了されているのは「アタシ」の方なのだ。
換言すれば、本曲の至るところに現れるワガママ(例えば「身勝手だって泣くシックなそぶり」など)は、すべて「アナタ」から仕掛けられていることであり、「洗脳完了」とは「アタシ」がされたことを歌っており、そんな「アナタ」を、どうしようもなく「愛しちまうのさ」というのが『キュートなカノジョ』の正体なのだ。
そう。一度でもこの曲を聞いたことのある人は改めて歌詞を読んでほしい。さながら叙述トリックのような話だが、「アナタ」の性別を仄めかすような、少なくとも男性であると断定しているような箇所は、本曲には一度も登場していないのだ。
結論:破綻する「カノジョ」の行方
『キュートなカノジョ』のコメント欄などを読んでいると、やはり「アタシ」=女性であり、男性である「アナタ」を翻弄しているという風に聞いている人が多いようだ。実際、本曲のサムネイルにおいて、描かれている人物の手の形や、その人物が目にハートを宿していることから、「アタシ」に夢中になっている「アナタ」を描いたものだという想像を喚起する。
しかし、それでも歌詞の中に「アタシ」や「アナタ」の性別を直接的に表している部分はない。サムネイルの人物の性別だって確定的なことは、どこにも描かれていない。
無論、本論の前半で述べた「一般論」も後半で述べた私見についても、どちらが正解と言う話ではない。「一般論」には妙なところがある一方で、私見についても、その内容についての決定的な証拠はない。提示しているのは、ただ「こういう風にも読める」という可能性の提示である。
最終的な結論は、読者に委ねたい。


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