【歌詞考察】AnythingBecomeMoe『次元通信』試論——過去と現在が壊れたあとの〈地平〉について

AnythingBecomeMoe

序章:必聴という判断について

まず最初に、必聴の曲である、と断言しておこう。

断言の対象はAnythingBecomeMoeの『次元通信』だ。

なぜ、そのように断言できるのかという質問に答えるのは簡単である。本曲は、ボーカロイドという文化に綿々と続く、とあるテーマを取り扱っているからだ。それは、焼きまわしという意味ではない。むしろ、より深刻に、切実になってしまったことを、この楽曲は示している。

そのテーマとは何か。端的にいえば、それは「伝わらなさ」だ。ここでは、そのテーマの前史をスケッチしたあと、『次元通信』の深刻さを、必聴の理由を、書き記したいと思う。

第一章:ポップに消費された通信不全──『テレパシ』という分岐点

ボーカロイドという文化の震源は、極めて自閉的なものから始まったといえる。これを綿密に検証することは本論ではしないが、例えば『グッバイ宣言』などが、その臨界点ともいえるだろう。そして、そのような文化は必然的に「伝わらなさ」の呼び水となる。

この「伝わらなさ」というテーマは、今でも聴衆を惹きつけるものだ。記憶に新しいところだとDECO*27『テレパシ』(25年2月リリース)だろう。

ネットミームに彩られた『テレパシ』は、そのポップな曲調も相まって大人気の楽曲となった。だが、この曲のテーマは「伝わらなさ」だということは見過ごしてはならないだろう。「テレパシ」という曲名が、そのものズバリであるように、この曲は好意を寄せる人への思いの伝わらさを面白おかしく描いている(PVにも「つたえて ミク*にーな」というのが映っているように、やはりこの曲のテーマは「伝わらなさ」なのだろう)。

だが、その「伝わらなさ」もある意味では当然であるという風にも表している。それはコミュニケーションの手段があくまで「ネットミーム」そのものであったり、何かしらのパロディであったりするからだ。世の中には当然のことながらネットミームが伝わらない人もいる。そのようなものは、あくまでインターネット空間に高頻度で触れている人間だけの共通語でしかない。このような差異を震源とした「ネット」と「現実」という間に起きる「伝わらなさ」の懊悩が『テレパシ』のモチーフだ。

ただし、注意してほしいのは『テレパシ』に描かれているのは、あくまで「ポップ」な、あるいはどこか「自虐的な」雰囲気を漂わせている点だ。

では一方で『次元通信』はどうだろうか。

第二章:「過去」と「現在」の破綻

念のため『次元通信』のモチーフも「伝わらなさ」だということを確認しておこう。

歌詞を一読すれば明らかなことだが、この曲には「虚空に響く合図/あてもない」や「返信は一生こない」「終わりない待機」などの言葉が散りばめられている。言うまでもなく、これらは「伝わらなさ」を表現していると言っていいだろう。急いで補足するとすれば、この「伝わらなさ」は前述の『テレパシ』より深刻だ。なぜなら、伝えようとしている相手の姿すら、補足できていないからだ。

「おい、今どこだ」「あの、生きてるよね?」という歌詞が、そのような位置関係を物語っている。

しかし、筆者が本当の意味で深刻さを感じたのは、前述の部分ではない。

思い出してほしいのは、『テレパシ』で示した「伝わらなさ」の分岐点である。そこで私は「ネット」と「現実」という差異が「伝わらなさ」を生んでいると分析した。

では『次元通信』はどうだろうか。注目すべきは「過去が壊れた」という歌詞とPVに描かれている壊れたテレビだ。

私たちが紡ぐコミュニケーションのほとんどは、過去ないし現在を共有することで、はじめて取っ掛かりを得ることができる。

見知らぬ人でも「今日はいい天気ですね」や「この間のオリンピック(あるいは何かしらの大規模イベント)は見ましたか?」など話しかけることができる。

だが、どうだろうか。もし、このような過去や現在が、誰とも共有できなくなっていたとしたら…。

極端にいえば「今日はいい天気ですね」と話しかけても「そうですね。確かに空がエメラルドグリーンに光っているので、まもなく恐怖の大魔王がやってきます」などと返答されたら、コミュニケーションは破綻する。常識的なことをいえば、そのような人は「やべー奴」だという認定をして、さっさとその場から立ち去るのが「正解」だ。

繰り返しになるが、コミュニケーションというのは「過去」や「現在」に対するある程度の共有が前提となっている(ちなみにいえば、ここから本論が、クリプキが展開したような言語哲学や意味論の議論に足を踏み入れる気はないので、なじみがない読者は安心されたい)。

このような前提があることを踏まえれば、『次元通信』で描かれているのは、絶望的なことなのだ。そう。ここで私は「過去が壊れた」という歌詞を文字どおりの意味として受け取り、破損したテレビを「壊れた現在」の象徴だと捉えている。

過去も現在も共有できず、相手の姿も補足できない。何もかもが断絶したなかで、誰かを呼びかけるという絶望的な営み。これが『次元通信』が描いていることなのだ。

結論:断絶のなかで評価だけが残る

よくいえば『次元通信』は、ボーカロイドという文化圏のなかに存在した重要なテーマの質的な変化を明確に捉えた作品といえるだろう。そのような楽曲が人気を博していることに、やはり、視聴者側の意識の変化、ひいては時代の変化をも感じる、というのは大袈裟だろうか。

ところで、なぜ、そもそもこのような変化が起きたのか、という点については、昨今のデマの隆盛をみてもらえればわかるはずだ(このような、いわば「分断」の例については、わかりやすいものとして鈴木大介『ネット右翼になった父』などを読むといいだろう)。もちろんこれ以上は、本論の範囲を超えているので、ここでは扱いわない。

いずれにせよ、2026年という時代のうねりを感じさせる素晴らしい作品だと私は思う。今現在も多くの視聴者に聞かれているのは、なんら不思議なことではない。そんな納得の一曲である。

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