はじめに
本稿では、筆者のオススメする恋愛系のボカロ曲を5曲紹介したい。
もちろん「あの曲が入っていない」「この曲が外れているのはありえない」という声もあると思う。そこで、本曲の選定理由について軽く触れておきたい。
紹介する曲はいずれも「名曲」だと私は確信しているが、ほかの理由としては端的に「歴史」が関わってくるという点にある。ボーカロイドというサブカルチャーは、約20年の歴史があり、星の数ほどの曲がリリースされてきた。そのような歴史のなかに現れた「転換点」の象徴ともいえる曲を本稿ではピックアップしたというわけだ。つまりこの記事はボカロ曲史私論ともいえる。換言すれば、歴史という縦糸と「恋愛系」という横糸の交差点が本稿なのだ。
さて、早速みていこう。
1『メルト』ryo(2007年)
「ボカロ」「恋愛」というキーワードを並置するのであれば、この曲は外せないだろう。
初々しくも瑞々しい恋心を歌った本曲は、ボーカロイドというサブカルチャーの景色を一変させた。
恋をしている人も、恋をしてきた人も、この曲を耳にすれば心が温かくなる。本サイトにも本曲を「考察」した記事はあるものの「好きだなんて絶対にいえない…」という歌詞は、考察など余計なものと思わせるような純度の高い恋心が描写されている。必聴という言葉では足りない。現代でも、恋が不滅である限り、多くの人の心に響く名曲だと私は今でも信じている。
さて、もう一つの観点である「歴史」について述べよう。
記事そのものでも触れたが『メルト』はいわゆる「メルトショック」という現象の震源でもあった。これまで「初音ミク」というキャラクターに沿ったキャラクターソングが中心だったボカロシーンにおいて女子高生・初音ミクという内面が与えられたのが本曲であった。以後、ボカロシーンは「内面」を歌う曲が増加していくのである。そういったシーンに与えた意味において必聴の一曲といえるだろう。
2『さようなら、花泥棒さん』メル(2015年)
自意識の語りが中心だったボカロシーンにおいて、それを力強く援護する形で登場したのが、物語の形式をした曲の数々だった。前述したryoの『初めての恋が終わる時』はもちろんのことHoneyWorks『金曜日のおはよう』も、物語形式ないし背景に「物語」を匂わせる曲が人気を博した。
そのような「歴史」という観点から推薦すべき曲は山ほどあるが、そのなかでも筆者のオススメの曲を挙げるとするなら『さようなら、花泥棒さん』になる。
ポップな曲調のなかで歌われれる恋心とそれを彩る「病」「罪と罰」「性と生」を想起するフレーズたち。そして、巡る春と禁じられた恋の行方というストーリー性。個人的には、「恋」から始まったボーカロイドムーブメントの総決算ともいえる曲だと私は思っている。
現代では、世間に対して後ろめたい恋は白い目で見られがちだ。しかし、それでも「好き」だという感情の衝動は、誰にも止められない。そういうものだと私は思う。そして、そんな激情の疾走を本曲で体験してほしい。
3『ド屑』なきそ(2022年)
今でも多くの人にカバーされている『ド屑』。本曲の妙味は、ミステリー小説を読んでいるような構成の巧みさだろう。
本曲の冒頭は衝撃的だ。「馬鹿な女 まんまよ掛かった」というフレーズは、この曲のテーマを躊躇なく打ち出してくる。「馬鹿」な女と「ド屑」な男という構図が打ち出されるのだ。
しかし、本曲をそんな単純な対比の作品と思うことなかれ。執拗に繰り返される「なんで」「そういうもんだ」という歌詞に耳を傾けているなか、ふと気が付くと、先の構図がいつの間にか破壊されていることに聞き手は気づくだろう。詳しくは『ド屑』の記事でも触れているが、色気たっぷりの曲調と暴力の気配、そして待ち構えているどんでん返しに衝撃を受けることは間違いない。
しかし、このようないわゆる「病み系」の曲は、それこそボカロ曲の得意分野ではあった(昨年2025年においても『今すぐ輪廻』という曲が人気を博した)。それでもあえて本曲を推薦したのは理由がある。
その前段として、ハチ(米津玄師)の『砂の惑星』という曲の登場は押さえておかなければならないだろう。2017年に発表されたこの曲は、言ってしまえばボカロムーブメントの衰退を想起される内容であった。その「衰退」が、どの程度現実に符号していたのかについては議論の余地があるものの、その登場は衝撃をもたらした。以降、ボカロ曲は再び「内省」をテーマにした曲が増加し、耳目を集め始める。『抜錨』や『テレキャスタービーボーイ』『グッバイ宣言』などが、それらの好例だろう。
しかし、時代は、そのような「内省」を許してくれなかった。「内省」は自壊した。
「私とは」「意識とは」「心とは」と問うても、答えは返ってこず、そのようなモラトリアムは内側から自壊することになる。つまりそれは、自己を問い続けること自体がもはや救済にならなくなった状態を指す。悩んでいられない。そういった切迫した状況のネガでもある。
そして、この流れのなかに、なきそ『ド屑』がある。入れ替わる自己、信じることができなかったアイデンティティ。そんな「自己」の脆さを鍵とした極上の一曲が『ド屑』なのだ。
4内緒のピアス『プロポーズ』(2023年)
前述した『ド屑』と同様、本曲も「病み系」という括りに含まれるだろう。とはいえ、『ド屑』においては、明確に「男」「女」があったが、内緒のピアス『プロポーズ』は、一一筋縄ではいかない曲の巧みさがある。繰り返しになるが、たしかにこの曲を「病み系」の恋愛ソングとして聞くこともできる。だからこそ、この記事にエントリーさせた。しかし、私は「トラウマの擬人化」という観点からも、本曲を評価している。
とはいえ、そういった考察を抜きにして、ぜひ素直に聞いてほしいというのが筆者の望むところでもある。特に、この曲のワードセンスは脱帽ものだ。
「綺麗に腐った罰」
「愛情は君の中で醜く育ったな」
このような言葉たちは、マスメディアで聞くことのできない曲という意味で、サブ(!)カルチャー・ボーカロイドの面目躍如ともいえる。
とはいえ本稿の文脈でいえば、この曲も「内省」の終焉、「自己」の自壊という流れのなかに組み込まれていなければならない。もちろん、この曲の歌詞にも「僕を壊して」という自壊を匂わせる言葉がある。そういった符号の合致という意味では「内省」の終焉という時期の代表曲ということには異論はないと思う。その詳細は『プロポーズ』の記事で語っている。ぜひ、そちらもご覧になってほしい。
5『テレパシ』DECO*27(2025年)
「最後の一曲は明るい曲で締めよう」と思ってエントリーさせたわけではないことには注意されたい。
「聞いて楽しい」「見て楽しい」という曲は本曲が最高峰の一つだと思う。曲のテーマとしては「まじでSTOP 脈ナシハラスメント」という歌詞からもわかるとおり「伝わらない恋心」というものになるだろうが、そんな悲しさをポップに飾り付けるのが、おびただしいほどのネットミームだ。元ネタを推理するという楽しさがあるという点で「考察ブーム」の昨今、人気が出ないほうがおかしいとも思える。読者諸氏には、ぜひ元ネタ探しに挑んでもらいたい。
さて、このような「楽しみ」だけが本曲をオススメした理由ではないことは、言うまでもないだろう。先程の文脈を踏まえるならば、「内省」の終焉、「自己」の自壊を経たボーカロイドシーンは「不達」「不通」という問題にぶつかった。つまり「他者」の問題である。同様のモチーフである『次元通信』という曲の人気は記憶に新しいところだろう。ここに『モニタリング』を加えてもいいかもしれない。
本曲も、この「不達」「不通」をテーマとしているものの、これが「叶わぬ恋」という意味ではないことに注意したい。この曲はいわば「ネット」と「現実」の断絶に戸惑う曲でもある。おびただしいほどのネットミームは、「現実」への他者へのコミュニケーションの困難さを物語っている。曖昧な「自己」、解体された「私」は、現実に屹立している「他者」と向き合う術がない。見知らぬ他者との意思疎通には「自己紹介」が必須とされているからだ(このあたりのことは、専門的なところでは社会学者のN・ルーマンやA・ギデンスらの「近代」に関する議論が参考になるだろう)
良くも悪くも文字どおり「生きてる世界が違う」からだ。このような対立は昨今の「オールドメディア」という揶揄が表しているとおり、多くの読者には直観的にわかることだと思う。
そのような意味で「歴史」に位置づけすべき曲として『テレパシ』をオススメした次第だ。
あとがきに代えて
いかがだっただろうか。
本サイトでは、ところどころ「このようなモチーフの変遷の詳細は別途まとめるつもりだ」と記載してきたが、本稿でようやくその約束を果たしたと筆者は思っている。
だが、筆者としては、これら推薦曲のなかに「いい曲だな!」と思える作品を読者が見つけてくれれば望外の喜びである。
素朴に聞き入るもよし。考察を深めるもよし。このような多様な楽しみ方がボーカロイドの醍醐味なのだから。


コメント