【歌詞考察】いのうつはSA『一億年恋してる』「生き残っちまった私たち」のためのラブソング

いのうつはSA

序章:この曲は恋の歌なのか

もし、この文章を読んでいる貴方が三十代であるのなら、私はこの曲に「過去」を重ねて聞いてほしいと願わずにはいられない。無論、そうでない人であれば、ここでいう「過去」を本論では論じていくので「そういうこともあったのだ」と思ってくれれば幸いである。

さて、そんな本論で取り上げる曲は『ボカコレ2026Winter』のルーキー部門で見事一位となったいのうつはSAの『一億年恋してる』だ。タイトルから推し量るに、この曲はSF的要素を用いた「恋愛」をテーマとしている作品だと多くの人が思うだろう。

もちろん、それも一つの「読み」であることは否定しない。もしかしたら、このサイトにたどり着いた貴方も、ここで披露される考察が、そのような「恋愛」にまつわるものだと期待しているのではないだろうか。

残念ながら、私はそのような期待に応えることができない。これから私が語るのは、本曲の「正体」だからだ。

結論を述べておこう。私は、この曲の正体を「生き残っちまった私たち」へのものだと考えている。これがどういうことなのか。それをこれから見ていこう。

第一章:煙と祈り

「生き残っちまった私たち」という命題を証明するために、まず解き明かさなければならないのは、本曲の世界観だ。

この曲から滲むのは、閑散とした雰囲気だというのは多くの人が認めるところだと思う。例えば「まあどこか知らない所まで行こうよ」という呼びかけには、その直後に「もう誰もいないけれど笑」と続いている。そして、このような「誰もいない」ということをにじませるような部分は本曲に多く持ち込まれている。

ここでいくつかの解釈がある。一つ例を挙げるとするならば、語り手をいわゆる「ぼっち」だと捉える説だ。

孤独な語り手は、誰かに恋をしている。だが、この語り手はコミュニケーションに難があるのだろう。もしかしたら「寝癖のままで散歩しちゃう」といった点から、社会的常識の順守も難がある子なのかもしれない。そのためにいつの間にか「友達」もいなくなってしまった。そんな、(おそらく「不思議ちゃん」とでも言えるような)人物が抱いている恋心、それに伴う歯がゆさを歌っているのが本曲だとする考えである。

しかし、それにしては、本曲ではところどころで不穏な単語が登場する。「心に溜まった死を抜いておこう」というフレーズなど、最たる例だろう。かわいらしい歌詞にも関わらず登場していくる「死」という言葉。このような言葉の登場を許す世界観とはどのようなものなのだろうか。

そこで注目したいのが以下の歌詞だ。

「言葉が見つかんない!煙を焚いた」

「それじゃここでひとつ/手を合わせてみよう」

この歌詞の場面を読者にもぜひ想像してほしい。

直接的にこそ書かれていないが「煙」「手を合わせ」るという行動。これらは墓参りを意味している、というのが本論の説である。

このように考えると『一億年恋してる』という曲の世界観に整合がとれるのだ。語り手は「生き残っちまった」子なのである。「寝癖のままで散歩しちゃう」というのも先程、私は「社会的常識の順守にも難がある」と書いたが、先の世界観を踏襲するのであれば、そもそも「社会」が無いのだ。何かしらのカタストロフが発生した後の世界が舞台だとすれば、本曲の様々なフレーズが腹落ちするのではないだろうか。

二章:生き残っちまった私たち

さて、ここまで書いたところで、このようなSF的要素がある本曲に対して、どうして「生き残っちまった私たち」へと向けられた曲だと断じたのだろうか。ここで私は、読者に「過去」を思い出してほしい。

振り返ってみれば、私たちは、様々な出来事から「生き残っちまった」存在だった。

誰もいない世界で、残された者だけが生きている。
この構図は、私にはある世代の記憶を思い出させる。

三十代以上であれば、就職氷河期の真っただ中だったはずだ。「生き残り」を賭けた同級生との競争が、歩んできた人生の途中にあったはずだ。「友達」だと思っていた人たちに対しても嫉妬と羨望が入り混じり、一緒に遊ぶことすらいつの間にかぎこちなくなったりした人も少なくないと思う。

そして社会に出てからも、「パワハラ」「セクハラ」が暗黙のうちに了解されていた時代に投げ出された結果、心や身体を壊してしまった人が周りにいなかっただろうか。仮に今、あなたが「普通」に生活ができているのは、「生き残っちまった」結果なのだと思う。右を向いたか、左を向いたか、と形容できるほどの些細な差異で、人生が大きく変わった時代でもあった。今の自分があるのは、間違いなく「運の良さ」という要素もあっただろう。

このようなことを『一億年恋してる』に重ねるのは、何を隠そう、筆者自身、そのような三十代であり、就職氷河期世代だったからだ。

過酷な時期だったと思う。

私の友人は心を病み、同級生は自ら命を絶った。

そういうことがあったのだ。

当時は必死だった。だけど「生き残っちまった」と強く今は思う。

だからこそ、だろうか。

「心に溜まった死を抜いておこう」という本曲のフレーズに静かに励まされたような気がしたのだ。

もし、「いなくなった」彼らに、もう一度会えるとするならば「ちょっと待って」とこの曲のように呼び止めるだろう。そして、過ぎ去ったあの日のように「今度またラーメンでも」と声をかけるのだと思う。

結論:栄光の風景

辛い思いをしたことで、自分の傍を通り過ぎてしまった人に、どう向き合えばいいのだろう、と思ったことがある。

これまでの人生、すべての結果について、それを自分の実力だと思うつもりはないし、そのようなことは到底思えない。

そんな心の慰め方を知らないまま、今も生きている。私と同じような思いを抱えている人だって、少なからずいると思う。

『ボカコレ2026Winter』ルーキー部門一位という実績は、本論では捉えていない部分での良さが多分にあるはずだ。しかし、少なくとも私は、この曲の実績が、私と同じ思いを抱えていた人の心を慰めた結果だと思いたい。

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