【歌詞考察】椎乃味醂『ハーモニー (ft.原口沙輔, 初音ミク)』誤読と美のあいだで漂う私たちのための歌

椎乃味醂

序章:現実化するインターネットと失われた避難所

「インターネットは現実で居場所のない人が集まるところだったのに、現実の人間がみんな流れ込んできたら、インターネットは現実と変わらないじゃないか」なんていう冗談がある。

とはいえ、この言葉は、私たちを取り巻くインターネット環境の変容を端的に表していると思う。

そんななかで、インターネット初のサブカルチャーはどうなるのか、あるいは、どうあるべきなのか。そのことを示してくれた傑作がある。

椎乃味醂の『ハーモニー (ft.原口沙輔, 初音ミク)』だ。ボカコレ2026Winterで3位に輝いた作品である。

しかし本論は、この楽曲のすばらしさを語ることに終始しない。そのようなことは他の語り手に任せておけばよい。私たちの役割は、この曲が描いた変化の手触りを知ることである。そのことを知ることが「どうあるべきか」「どうするべきか」が浮き彫りになってくる。私はそれを示したい。

繰り返しになるが、私たちはまず「変化」を描かなければならない。それはつまり本曲以前を知る必要があるということだ。

読者の皆さんには、そのために私がどのような作品を「以前」と置くのか、ということを気にしつつ、本論を読み進めてもらいたい。

ではさっそく、「変化」の足掛かりとなる、この曲の特徴を歌詞に見出していこう。

第一章:「誤読で成った境界」を歩く世界観

本曲は、ひとつの不思議な世界観を描いている。

特徴的なフレーズとしては「波紋」「曖昧」そして「同じ声を刻みながら/違うことを歌っている」を挙げることができるだろう。

これらの言葉が描く世界観とはどういうものだろうか。

わかりやすさのために、少しばかりの脱線を許してもらえるのであれば、ここで参考になるのは例えば、マルクス経済学の始祖であるカール・マルクスが描いた世界だろうか。簡単に言ってしまえば、マルクスは世界を上部構造と下部構造にわけた。「搾取」され、悲惨な生を強制される下部の大衆、その恩恵にあずかる資本家たちと世界を二分した。上部に騙され、搾取される下部は、上部を妥当しなければならない。マルクスは、そんな世界観とシナリオを描いた。これと似たようなことは、真偽など関係ないとすれば、様々なところで展開されている。日本においても「八紘一宇」という言葉は、強烈な世界観を提示するとし、イデオロギー的嫌悪感を抱く人もいる。

いずれにせよ、我々は大なり小なり、それぞれが「世界観」を抱え込みながら生きているというわけだ。「信じられるのは同性の友人だけだぜ!」と謳う人もいれば「世の中は弱肉強食。戦わなければ生き残れない」という風に、だ。

そのような意味で言えば、『ハーモニー』も、また世界観を提示していると私は思う。

しかし、それは極めてあいまいで、読み取ろうとする人を苛立たせる危険性を帯びている。

例えば、『ハーモニー』の世界観は、明晰なものや「真実」といったものはない。「誤読で成った境界を歩く」という歌詞が、そのことを象徴しているだろう。その他にも例をいくつも挙げることができる。「思考」は「意向と近しい別に 結び付け」というのは、オリジナルを柔らかく否定しており、そこに内包される偏見を否定しない。「鋭角な声と表明」に対しての「何を誓っている」という言葉は、これもまた同様に「真実」への優しい否定であるといえるだろう。

しかし、である。

真実もなく、誤読を積み重ねていくしかないなかで、唯一、私たちが「私たち」として意識できる基準がある。それが「美」だ。歌詞にも「それをいいなと思う美学が/ぼくらを繋いでいる」とあるとおり、だ。

では、この世界観は、どこか目新しく、どこに「変化」が現れているのだろうか。

第二章:かつて言葉はすべてを繋げると信じられていた

私は、いや、私たちはこの曲のように「世界観」を提示する作品を知っている。

2012年kz氏によって生み出された名曲『Tell Your World』だ。

この曲の世界観は明確だろう。各個に「伝えたいこと」「届けたいこと」があり、それは線のように誰かに届き、各人を結び付ける。注目すべきは、ここに一切の躊躇がない点だ。『ハーモニー』のような誤読の危険性も念頭になければ、「言葉」や「音」は「全てを繋げてくれる」と素朴に信じられた。

一方で『ハーモニー』には例えば「同じ問いを見つめながら/違う言葉を置いている」という歌詞があるように、コミュニケーションの困難さが、見え隠れする。

「言いたいこと」をきちんと言えば、きちんと伝わるという素朴で純粋な世界観を有していたのが『Tell Your World』だとすれば、その困難さを引き受けたのが『ハーモニー』だと言えるのではないだろうか。

なぜ、このような変化が起きたのか。

多くの読者は直観的にわかることと思う。インターネットが、現実と重なりすぎた、あるいはインターネットの「現実化」と言ったところだろうか(そのような時期が、まさしく二〇一〇年代に起こったということは文芸評論家・藤井義允など様々な論者が指摘していることである)。

このことが、インターネットの風景を変えた。言葉の行き違い、些細な諍い、いたるところで発生している炎上。このような光景を目の当たりにしている私たちからすれば、『Tell Your World』は、あまりにも純朴過ぎた。

しかし、だからこそ『ハーモニー』が、今の私たちには響く。

改めていうまでもなく『ハーモニー』は、ボカロのための曲だ。

ボカロによって生み出された歌が、たとえその解釈で多くの視聴者が揺れようと、良いものは良い、美しいものは美しいという感性で、人々が繋がれる可能性を歌ったものである。そういった点では『Tell Your World』と変わらない。

しかし、そうだからこそ、「今・ここ」の問題、「伝わらなさ」という変化を引き受け、「それでもなお」と「美」に希望を求めた。これが『ハーモニー』が傑作たる理由である。

そう。生み出されるべき傑作は、しかるべきタイミングで世に放たれたのだ。

結論:「美」は救済か、それとも隠蔽か

しかし、と私は思ってしまう。

「美」とは、それほどにまで信じるに値するのだろうか、と。繰り返しになるが、『ハーモニー』は「真(=真実)」にそこまで重きを置かない。それはさながら、ほとんどの人を納得させるだけの「真実」がない現代の光景に対する落胆のようにも私には思える。

だからこそ、本曲は「美」に、対話や相互理解の可能性を見出した。しかし、「美」は隠蔽をもたらす。

身近なところでいえばマンガ『推しの子』で描かれているような、生々しい現実がある。

歴史的にいえば、残虐さや熾烈な偏見を正当化するために「美」は用いられてきた。

「美」は隠蔽であり、自閉でもある(この「自閉の限界」については別の記事で述べた)。

『ハーモニー』は私たちに希望をみせ、そして課題を与えてくれた。かつてインターネットが夢見た、誰とでも繋がれる、分かり合える手段は、果たして「美」だけで充分なのか、と。

私たちが『ハーモニー』というメモリアルな楽曲から引き継がなければならないことは、重く、重要なものなのだ、ということを最後に述べておきたい。

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