序章:たまには、私やあなたについて語ろう
たまには、ボーカロイドシーンや現代社会の行方を憂うようなものではなく、私や、あなたについて語ろう。ただし、ボカロの力を借りて。
十一年ぶりに、その人は帰ってきた。私たちが、私たちのことを責めず、おごらず、優しい形で振り返れるような名曲を引っさげて。タイトルは『エンドロール』。クワガタPによる作品だ。
私たちがこれから行う作業は単純だ。まずは、この曲の整理をしたあとに、冒頭の課題に取り組んでいきたい。私たちが、私たちのことを振り返る、という作業だ。普段であれば気恥ずかしいことでも、この優しい曲と一緒であれば叶う気がする。そのために重要なのは、本曲の違和感だ。サビ部分で繰り返される「重なる僕らを思い出さなくなったとしても 消えやしないよ」というのは、どういうことか。
この謎めいたフレーズを足掛かりに、私たちは自分たちのことを振り返っていきたい。
第一章:「この景色が続くと思ってた」
まずは整理といこう。つまり、この曲は、あるいは語り手は誰で、どのような場面にいる存在なのか。
そのために押さえておきたい、いくつかのフレーズがある。「僕ら同じ電車に揺られて
この景色が続くと思ってた」や「また会う日まで」という寂寥感あふれる歌詞が、それである。前者は過去形であり、後者については「僕ら」の別れが示唆されている。そして、さらにいえば「この場所にはもう戻れないこと初めから知ってたのにな」という言葉も重要だ。整理すれば「僕ら」には、「もう戻れない」と知っていた共有の場所があった。そのなかにいる限り、共にいるという「景色」はいつまでも続くと思わせてくれたという背景が、これらの歌詞からにじみ出ている。
筆者は、直観的に、この「僕ら」を学生や生徒であると感じたが、読者はいかがだろうか。このように思う根拠が、より明瞭な形で表れているのが本作のMVだ。セーラー姿の女の子が、電車に揺られている場面が大部分を占めている映像からは、語り手が、そのような学生だということが示されている。
そのように考えれば、どうだろうか。自身を振り返ってみても「この景色が続くと思ってた」という感慨は、理解できるところがあるのではないだろうか。その渦中にいるときでは絶対に気づくことができない、思春期という人生の季節。永遠ではないとわかっていても、永遠だと思ってしまうような日々。その稀有な時間のみずみずしさと終わりを本曲は歌っているのだろう。
だが、ここにきて一つの「謎」がある。
「重なる僕らを思い出さなくなったとしても 消えやしないよ」とはどういうことなのか。
素直に考えれば「思い出」は「消えない」からこそ、学生時代の瑞々しさは「これから」の自分を支えるのではないだろうか。
一方で本曲は「思い出さなくなったとしても 消えやしない」。
そう。つまり「謎」とは、ここでいう「消えやしない」というのは、一体「何が」という問題なのか、ということだ。
第二章:忘れないのではなく、すでに私になっている
では、この謎を解くために、外堀から埋めていこう。「消えやしないよ」という直後のあと、この曲は次のように続く。
「君と満たすこの世界や 未来が永遠じゃないとしても 世界は気にせず回るとしても」
ここからわかるのは、消えないのは「世界」や永遠の「未来」ではない、ということだ。
では、一体「何」が、消えないのか。
それは端的に、「私」のことなのだと筆者は思う。「私」が消えないのは当然ではないか、と読者は思われるだろう。しかし、ここで強調したいのはそういうマテリアルなものではない。消えないのは、思い出の映像そのものではない。君と過ごしたことで変わった「僕」であり、君との時間をすでに含んでしまった現在の「私」なのではないか。
だからこそ、私たちは振り返らなければならないのだ。「私」は、一体いつから、「私」であったのか。
これまでの人生、私たちは幾度となく考え方を変えてきたはずだ。必要に応じて性格や言葉遣いも変わってきただろう。では、なぜそのような変化が生じてきたのか。それは、やはり「他者」の存在が大きいだろう。
憧れの人ができた。その人に近づきたくて私たちは「これまで」の自分を否定し、「これから」の自分の在り様を追い求めてきたはずだ。
仲間と認められたくて、言葉遣いも少なからず変えてきたのではないだろうか。
あるいは好きな人ができれば、その人の趣味嗜好だって取り入れた人だって決して少なくないはずだ。
私たちが、私たちでありうるのは過去に受けてきた「傷」や「影響」があったからではないだろうか。
だから本曲は歌う。
「消えやしない」と。
本曲は、このようにも歌っている。
「忘れやしないよ君にかける言葉が今はさよならだったとしても」
忘れない。忘れるわけがない。それは「思い出」という名前の付いたものではないかもしれない。けれど、忘れないのだ。そのかけがえのない交流が、今の「私」を作り上げているのだから。
終章:あなたのなかにも、エンドロールは流れている
このような観点から眺めてみると、なぜ『エンドロール』というタイトルなのか、というのがわかってくる。無論、別れを描いていると思われる曲であるから「エンドロール」という考え方もできる。間違いではないと思う。
しかし、振り返ってみた私たちが、私たちのなかに色々な他者の痕跡をみることができれば、その様子も多くの人たちが「私」を形づくるという意味で実際の「エンドロール」のようではないだろうか。
「答えは自分のなかにある」「人生は自分次第だ」という言葉が力を持つ現代において、「私」という存在は、ときに必要以上に自己完結したものとして語られる。しかし、本当にそうだろうか。「私」は「私」だけを生きることはできない。他者との「協働」が私を私たらしめる。そんな静かな、しかし、穏やかな事実に本曲は気づかせてくれる。
あなたのなかにも、あなたを作った人々たちとのエンドロールが流れている。

コメント